小説にみる人材育成方法/書評「西の魔女が死んだ」
話の折、マグカップが話題になった。友人曰く「容器として以外のマグカップの役割を知っているか。」それとともに本書の名が挙がったので、実際に読んでみる。今回はその感想である。
あらすじ
中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。その後のまいの物語「渡りの一日」併録。
読んでみると心温まる物語だった。まいとおばあちゃんの交流や成長したまいの姿はもちろんのこと、学校という閉鎖的な環境から離れて牧歌的な自然のなかに溶け込んで日々を過ごす描写は疲れた心を癒すものがある。
指導方法
さて、本題はおばあちゃんがまいに対して取った指導方法である。まいは中学生ということでそれまでに受けてきた指導のほとんどは教師あるいは親からの一方的な知識の伝授だろう。ところが、おばあちゃんが魔女修行としてまいに教えたことはたった1つである。それはすべてを自分で決めることだ。しかも、共同生活を通して、だ。
指導の上で生活を共にすることには多くにメリットがある。特に今回のように魔女修行という生き方に関わる場合には。
第一に、お手本が近くにいることである。よく学ぶの語源は「真似ぶ(まねぶ)」*1と言われるように、学習は模倣から始まる。まいは修行の一環で早寝早起きをすることになる。お手本はもちろんおばあちゃんである。ここでも自分で決めるというルールは適用される。つまり、起床と就寝の時刻である。夜更かししがちだったまいも生活を正していく。
第二に、細やかな指導や知識の継承が可能になる。まいの体調に合わせて柔軟に生活や修行を営むことがお互いのためになる。知識としては草木の知識、ジャムの作り方から安眠の方法*2など多岐にわたる。生活を通して得た知識は生きた知識であり、機械的に覚えるものよりも長く覚えておくことができ、応用も望める。
だが、デメリットも存在する。それは、相手の存在が必要以上に影響を与えてしまうことだ。まいの母親が危惧したように、まいがおばあちゃんの型に嵌まってしまう危険性もあった。具体的にはまいがおばあちゃんとの生活を継続し、学校に行かなくなることだ。本編では共同生活を途中で切り上げ再び家族と暮らすようになり、以後おばあちゃんのことを思い出すことも少なくなる。
山本五十六式指導法
おばあちゃんの指導法は端的に山本五十六のそれである。つまり、
やってみせて、
言って聞かせて、
やらせてみて、
ほめてやらねば人は動かじ。 *3
余談
冒頭の問いの答えは「居場所を作ること」だった。
期間を区切って実際に体験したい生活である。