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徒然なるままに読書

書評から日々の考え事まで綴ります

もしもマキァヴェッリが大日本帝国を視察したら

  「天国に行く最も有効な方法は、地獄へと至る道を熟知することである。」―これはマキァヴェッリの言葉だが、言葉通り彼は天国へ行っただろう。しかし、彼は仕事人間*1だったから死後もフィレンツェ(現イタリア)のために日々情報収集に勤しんでいる。今回はそんなマキァヴェッリ大日本帝国の(仮想)視察レポートである。

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ニッコロ・マキァヴェッリ(1469-1527)

  観察力・分析力・総合力で当代一と称されたマキァヴェッリなら大日本帝国の特徴について次の3点を指摘するだろう。短期間での統一国家の樹立・中央集権体制の確立、他人の力を当てにすること、無責任の体系である。


近代的な国家への飛躍

 マキァヴェッリにとってイタリアの統一は悲願であった。彼の主著である「君主論」にもイタリア統一を掲げるも、実現するのは1871年である。アジアの日本が先んじて1868年に明治維新を実現したことに関心を抱くに違いない。

 明治維新の背景を知るために国内に目を向けると幕藩体制への不信*2・諸外国の外圧による日本の植民地化の危機感があった。その危機を回避するために強力な中央集権体制国家を樹立することが唯一の道であり、天皇という伝統的権威の存在は、反幕派が天皇を中心に結集することを可能にした。中央集権の旗印が天皇となったわけである。また、中国のように新たな文化を導入する抵抗もなかったので、必要に応じて欧米の事物を取り入れる柔軟性をもちあわせた。

 マキァヴェッリが生きていた当時のイタリアはイタリア諸国の群雄割拠に加えて、絶えずローマ法王、フランス、神聖ローマ帝国が介入の隙を窺っていたので、ここでも国際関係に注目するのは当然だろう。

 日本と前後してヨーロッパでもドイツ・イタリアが統一を完成し、この時期が民族統一を実現する最後のチャンスだった。植民地支配を進めたイギリスは世界の工場として貿易自由化を推進するとともに、各地で植民地支配に抵抗する民族運動*3に直面し対日政策を中立とした。また、その主力は中国に向けられていた。その他の主要国ロシアはクリミア戦争の敗北、フランスは普仏戦争の敗北、アメリカは南北戦争とそれぞれが国内問題に忙殺されて、対外進出に消極的な時期だった。このように、一種の権力の真空状態でもあった*4

 
 その後、地租改正や国民皆兵皆学などの施策を通じて中央集権体制を整えていく。近代国家として体裁を整えるとともに不平等条約を改正し、ヨーロッパ法秩序の一員と認められる。


 明治維新とその後の展開を見て、マキァヴェッリなら「フォルトゥーナ」(Fortuna, 運命)と「ヴィルトゥ」(Virtù, 技量)の両方を備えていたというだろう。運命は気まぐれなものだが、運命を引き寄せるのが技量なのである。*5

 

他者の力を当てにすること

武装した預言者は勝利し、武器なき預言者は破滅することとなった

 何かを為すには相応の力が必要ということを説く「君主論」の一節である。これはなにも個人に限らず国家でも同様だ。明治期において成功した戦争とは日清戦争日露戦争であり、失敗した戦争とはもちろん満州事変からの日中戦争、太平洋戦争である。これらの戦争の成否を決めたのは軍事力は然ることながら、それと同等に他国からの支援があるかどうかである。

 日清戦争日露戦争では戦費の調達は英国の助力なしには不可能だったこと、また日露戦争では物資・資金の両面で戦争継続が困難だったところにアメリカの仲介によって講和へ持ち込んでいる。これらの戦争では他国の支援なしに勝利はなかった。
 対して日中戦争、太平洋戦争では先の戦争に貢献した英米が相手国の支援に回ったりや当事国になったりと支援は望めない状況である。結局、敗戦を迎える。

 依然として他国の助力が不可欠な程度の国力にもかかわらず、自身の能力を過大評価して実行する向こう見ずさ、あるいはそのような状況に追い込まれる外交の不手際さを指摘するだろう。*6戦争の趨勢を左右する英米を敵に回しても勝てる技量もなく、事態を好転させる運命にも恵まれなかったのだ。

 

 無責任の体系 

 マキァヴェッリは意思決定において大日本帝国を特徴づける「無責任の体系」*7に気づくだろう。無責任の体系とは、意思決定を天皇など名目的な指導者を「神輿」、官僚や軍部を「役人」、右翼や新聞を「無法者」と位置付ける三段構造と捉える。「神輿」に実権はなく、「役人」が実務を取り仕切るが、「無法者」の行動や世論に振り回されることになる。神輿は実権がないので決断や責任とは無縁と考え、役人にしても空気に従って職務をこなすので責任についての意識が希薄であり、無法者はそもそも責任に思いを巡らさない。責任の所在が宙ぶらりんになったままで行動に移されることになる。*8

 この構造は責任=決断の意識が希薄になる。対してマキァヴェッリは決断、それも迅速な決断の重要性を説く。

 弱体な国家は、常に優柔不断である。そして決断に手間どることは、これまた常に有害である。

 戦争初期においては海軍と陸軍のどちらの言い分も作戦に書き留める両論併記がまかり通り、末期にはポツダム宣言の条件を巡って議論が膠着してしまう。最後は、昭和天皇の意向によって議論は終結した。

 マキァヴェッリはこの優柔不断ぷりから祖国のフィレンツェ共和国を思い出さずにはいられないだろう。*9

  
 君主に道徳に反する冷酷な決断をも求めるマキァヴェッリにとって、決断を妨げる無責任の体系こそが大日本帝国の宿啊と見るだろう。 

 

余談
 死後ではもう経費の無心*10を政府や友人に頼む必要もないので、心置きなく視察にはげんでいそうだ。大日本帝国の政治顧問を打診されたら引き受けるのか気になるところだ。

 

 マキァヴェッリの主著

君主論 (岩波文庫)

君主論 (岩波文庫)

 

 

 無責任の体系について詳しくは…

超国家主義の論理と心理 他八篇 (岩波文庫)

超国家主義の論理と心理 他八篇 (岩波文庫)

 

 

*1:クーデターによる失脚後もあまりに多くの仕事を抱えてた彼は引き継ぎのために長い間登庁していた。大統領秘書官、委員会メンバー、書記官としての実務etc.

*2:1866年には物価の著しい高騰から百姓一揆・打ちこわしが頻発し、過去最高の件数を記録した。なかには世直しと称して反幕藩体制の動きも見られた。

*3:インド:セポイの乱(1857),中国:太平天国の乱(1851-64)が代表的。

*4:1871年以後は各国ともに再度帝国主義的活動を再開する。

*5:1920年代にはそのどちらも失うように思える。

*6:英米を敵に回さないソ連への攻撃というifについてはこちら

「日本がアメリカではなくソ連を攻撃していたら?」 第2次世界大戦の「もし」を米誌が分析 | ニュースフィア

大勢が好転するような影響はなさそうである。

*7:丸山眞男超国家主義の論理と心理」

*8:天皇の無責任性を確保するために政治の実権から引き離された。

*9:徴兵による市民軍の創設を目指して優柔不断な政府の説得にあたっている。
有力者に市民軍の意義を説くとともに財源の確保まで広く活動し、少数ながらも市民軍の創設が決まった。

*10:経費不足を何度か手紙にしたためたり、伝令を着払いにして節約したりもしている。