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徒然なるままに読書

書評から日々の考え事まで綴ります

機能不全に陥る家庭/映画「クリーピー 偽りの隣人」

映画

 前回は話題の中心がサイコパスになり、本来の目的である映画の感想まで書くことができなかったので今回こそ感想を書く。 

watashinohondana.hatenablog.co (前回の記事)

 2つの家族

  物事を比較するとき共通点に注目することが思考の足掛かりになることが多い。そこで、映画で登場する2つの家族を比べてみる。主人公の高倉・康子の高倉家(飼い犬のマックス)と奇妙な隣人西野・澪の西野家である。
 大学教授と専業主婦、協会理事と鬱病の妻、飼い犬と娘、と両家庭には共通点がないようにも思えるが、1点だけ共通するものがある。それは家庭が機能不全となっていることだ。西野家はわかりやすい。西野家はそもそも主人たる西野が本物の西野ではなく赤の他人であり、本当の西野夫妻は床の下である。西野家は家庭を乗っ取られて男は外では澪と疑似的な家族を演じてはいるが、屋内に入ると「おじさん」と呼ばれるなどあくまで外向けの家族であると示される。
 対して高倉家は夫婦仲も良好で一見円満な家庭のようにも思える。しかし、映画終盤に康子が色々なことを我慢し諦めてきたことを吐露し、高倉もそのような妻に気づくことができず、何一つ理解していなかったことを謝り、我慢と諦念、無理解が渦巻いている家庭であることが明らかになる。しかも、西野家と関わる以前からそのような家庭であって、事件に巻き込まれて家庭が崩壊したわけではない。*1

 では高倉家が機能不全に陥った原因はなにか。夫は趣味の犯罪心理学の教授にまで上り詰め康子のことも理解していると考えているので、その原因は康子の側にある。それは康子が語ったように我慢と諦念であろう。夫に合わせての引っ越しもそうだろうが、私が考えるのは子供である。両者が話し合ったうえで子供を作らないのか子供がいない背景は明らかではない。だが、子供を作らない現状が彼女のうちで大きな不和をもたらしていたらどうか。しかも、夫はそのことに気づいていない。ペットのマックスを飼い始めたのも子の代用なのかもしれない。

 

家庭を結ぶ子供

 子は鎹という故事がある。映画では高倉家と西野家を結びつけたのが娘の澪である。康子は初対面の西野を不気味で変な人と呼んでいた。そんな悪い印象を反転させたのが康子が澪に料理を教えるイベントである。子がいない康子にとってこのイベントは大きな意味を持つ。康子は料理を趣味としているし、年の離れた澪に料理を教えることはさながら母が娘に母の味を伝えるようなものだからだ。また、ともに食卓を囲むことで西野への警戒心も緩む。
 澪は高倉にとっても鍵になる。澪は西野が本当の父親でないことを告げ、そのことから西野への疑惑を深めていく。そして、西野と6年前の失踪事件の関連にまで思い至ることになる。

 西野にとっても澪の存在は大きい。ただし、娘としてではなく道具としてだが。1つは、単身の男性が他の家庭に侵食するのは困難だが*2、娘がいれば接触や警戒を解く難度も容易になる。西野家には兄もいたようだが、真っ先に床下へ。もう1つは西野家の処理を澪に任せるためだ。西野は極端に手を汚すことを避ける。*3この部分を高倉は自分で手を汚すことのできない臆病者と謗るが、それが違うことを視聴者は観ている。

 

理由がないことの恐怖

 西野が家庭に侵食しては壊していく理由は最後まで明らかにならず、ターゲットの選定も単純に地理的要因だけで決めているために、被害家庭は落ち度もなくただ隣人だったということだけで理不尽に殺されていく。この理不尽さと隣人がサイコパスだったという日常でもあり得ることが私たちを恐怖させる。しかも、この種の恐怖は交通事故、自然災害、通り魔と西野のようなサイコパスがいなくとも容易に日常と接続されるので余計に怖い。

 おまけに西野が結局誰だったのかという点も明らかにならない。名前や正体、行動原理などあらゆることが闇に包まれたまま怪物として死んでいく。たとえ悪役だろうが特別なものではないかのようだ。

 

余談

 人間関係における信頼は社会の基礎に置かれているが、その信頼も所詮は幻想に過ぎないことをまざまざと目の当たりにする。サイコパスのような完全に異質な存在を理解できないだけでなく夫婦関係の間柄ですら理解できていない。社会は信頼という不安定な約束事で運営されている。信頼で回る社会を否定するのが西野家である。そこでは、娘が家族の死体の後処理を行い、本来事件を解決すべき刑事は死に、近隣家族が信頼できない・不和を吐露する、妻は裏切るなど信頼とは別のルールで動いている。

 

 陰惨で気分の悪くなるいい映画でした。これで黒沢清監督の作品は3つ目。残りも観ていきたい。


丁稚さんの書いたこちらの記事を読むと映画を観たくなること間違いなしです。

tentofour.hateblo.jp

 

*1:平穏な日常という意味では崩壊したが。

*2:西野は特殊な話術を持っているのか簡単にマインドコントロールを仕掛けてくる。この点は同じ黒沢清監督の「cure」を連想させる。

*3:無茶苦茶な理屈や言動が飛び出て同じ人間だということを忘れさせる。