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全体主義克服のために 書評『ハンナ・アレント』

 

ハンナ・アレント (講談社学術文庫)

ハンナ・アレント (講談社学術文庫)

 
 あらすじ   
二十世紀思想の十字路と呼ばれたアレント全体主義を近代精神の所産として位置づけた彼女は、帰るべき家郷を失った時代の保守主義者として、進歩を信じ得ない時代の革命的理論家として常に時代と対決することで今に続く現代の苦境を可視化し、政治の再定義を通じて公共性を可能にする条件を構想した。その思想の全体像を第一人者が平易に描き出す。

 

 どんな本か?

  ハンナ・アレントの著作『全体主義の起原』『人間の条件』を中心になぜ20世紀に全体主義が台頭したのか,全体主義には処方箋があるのかを解説する。ただし,『イェルサレムのアイヒマン』については触れられていない。

 

概要 

 1 全体主義の起原

 戦後間もなくに出版されたハンナ・アレントの出世作である『全体主義の起原』はまさに全体主義の世紀と呼んでも良い時期に彼女の問題意識によって生み出された作品である。この作品は反ユダヤ主義,帝国主義,全体主義の三部から成る。

 

1-1 反ユダヤ主義

 反ユダヤ主義には二つの文脈がある。一つは社会的に,他方は政治的なものだ。前者は西洋に根付くキリスト教ユダヤ教の対立とそれに関連して金融業を営み,多数の成功者や富豪を輩出したことへの憎悪であり,後者は国民国家を超えた連帯の形成に成功したことへの反発だ。アレントが焦点を当てたのは後者の政治的な反ユダヤ主義だ。ユダヤ人を厳密に定義することは困難だが,ここではユダヤ教徒とする。ユダヤ人はイスラエル以外にユダヤ人が建国したと言える国はなく,長らく世界中に散ばっていたが,現地で完全に同化することなくユダヤ人としてのアイデンティティを保持していた。イギリスやフランスといった支配領域に根差した国民国家と地域によるナショナリズムとは一線を画する。祖国もないのに民族としてのアイデンティティを失わないことに成功したことは国民国家の枠組みを超えたと言える。そしてこの国民国家の枠組みを超えたことこそが政治的な反ユダヤ主義の原因となった。

 国民国家を超える運動として19世紀の汎=ゲルマン主義と汎=スラヴ主義がある。ドイツとロシアを盟主に主導したこの運動はユダヤ人がその歴史的経緯を経て形成された特定の地域,つまり主権国家の要となる支配領域を超えて民族の紐帯を作る試みである。図らずも国民国家を超える運動の成功例となったユダヤ民族を排除するために政治的な反ユダヤ主義が起こり,その結果としてドイツ(ナチス)とロシア(ソ連)によるユダヤ人迫害がある。

 

1-2 帝国主義

 帝国主義とは,武力を用いて他国を植民地にその地域に資本を投下することである。よって帝国主義の条件として資本主義がある程度発展していなければならないこと,本国には余る余剰資本があることに加え植民地で資本を保護するための円滑な行政を行う官僚制機構の3つが挙げられる。ただし,官僚制は現地だけではなく本国から導入する形になる。

 資本主義がイギリスで最初に起こり,各国に波及したことからわかるように,各国の資本主義の発展には差があった。初期に発展したイギリスやフランスは十分な海外植民地を持つことができたが,後発資本主義国家であるドイツやロシアは海外に植民地となっていない地を見出せず,結局は大陸内で植民地を得ようと画策する。

 資本とともに「モッブ」という本国の過剰な人口も植民地へと渡る。アレントはボッブを各階級の落伍者であり,資本主義がむき出しになった姿だと説明する。つまり自己の利益のみを追求し,社会倫理を捨てただ市場原理に従う人間だ。

 現地での行政はどうか。コンラッド『闇の奥』に見るように植民地の行政官は被統治民を理解できず,また同じ人間であると認めることもできないので人種差別に陥ることになる。ここで行政と人種差別が結合する。官僚制は匿名の支配であり,本国とは状況がことなるので,議会を通じた立法ではなく政令による統治が中心となる。いずれも非人間的な性質となる。イギリスのように本国と植民地が離れていると植民地行政,人種差別的行政が本国に逆流する恐れはないが,ドイツのように大陸内植民地を持つ国は本国と植民地が近接するために人種差別を伴う行政が本国での行政にも反映されることになる。大陸や近接する地域に植民地を求めたイタリア,ロシア,ドイツは本国でも人種差別的政策を取り,実行していく。

 

1-3 19世紀秩序の崩壊

 アレント全体主義を近代精神の所産と位置付け,その由来に国民国家の動揺,階級社会の解体,政党政治を挙げる。これらをまとめて19世紀秩序の崩壊とする。

 アレントのいう国民国家とは,歴史と文化を共有し一定の支配領域を持つ国家主体としているが,これは国家原理に反することになる。国家は人種や民族に関係なく法によって統治する原理であるが,人種や民族に拘るナショナリズムと矛盾する。この内在的な矛盾が国民国家を動揺させるに至った。国民国家は地域に結び付いた西欧型ナショナリズムとは親和的だが,民族と結びついた東欧型ナショナリズムとは相性が悪かったのだ。この違いは西欧のほうが中央集権が発達していたことによる。

 階級社会と政党はアレントにおいて密接に結びついていた。貴族,資本家,労働者,農民の区分がはっきりしていたためにそれらの集団だけでは政治的な統合性は薄かったが,政党が階級を超えた利益を追求することで政治的に統合されていた。社会的な不平等性と国家の一員という平等性が併存していた。

 

1-4 全体主義

 政党が政治的統合の役割を果たしていたが,次第に各階級を代表し利益を追求するようになると政治的統合が困難になる。階級社会から漏れ出し孤立した一個人が孤立から逃れようとし,実際に包摂したのが全体主義である。

 全体主義とは,「難民の生産と拡大再生産を政治体制の根本方針とする」体制であり,その点で専制や独裁と区別される。全体主義という思想は不安定な運動である。絶えず外部に敵を作り,その敵に対抗するという名目で内部の一体化を進めるも恒常的な安定が望めない以上,外部との対立以外に安定の目途がない。しかし,外部をすべて内部化した場合,世界征服したときなど外部に敵が存在しないので全体主義はもはや維持することができず消滅することになる。

 全体主義の本質的要素はイデオロギーとテロルである。テロルは一般的な用法と違い,人間相互の自由を消すことを指し,テロルによって人間の固定化を図る。それは恐怖によってでもいいがとにかく人間の社会経済的状況から精神まで画一化していく。全体主義の例として,ナチズムは人種主義をイデオロギーに,恐怖によってテロルを行った。全体主義の中心に位置するほど現実から離れ,自身の信奉する教義の作成洗練に従事し,現実と教義が矛盾する場合には教義が正しいと考えるまでになる。

 

2 全体主義を克服する

 いかに全体主義を克服するか。その鍵をアレントは共和制に求めた。アレントの共和制は一人一人が政治に参加し,しかもその参加理由が特定の利害にあるのではなく参加すること自体に意義を見出すことだ。一人一人がある利害に囚われずに議論し意見を出すことで最終的には公共性,国全体の幸福になる政策を取ると考えた。

 

感想

 本書は『現代思想の冒険者たち-ハンナ・アレント』の文庫版で氏の思想の概要と解説が収められている。この記事はその中で全体主義についてフォーカスしているが,公共性など他の内容も密に書かれているのであたってほしい。

 アレントは政治の理想を古代ギリシア,ローマとしたせいか,全体主義の克服にも共和制が処方箋となった。共和制は人間の「活動」の産物である。活動とは,人々の自由な言論によって生み出されるものであり,他者の存在を前提にしている。人々が他者や自分自身まで見捨てて教義の世界に籠ることは活動とは認められない。共和制を理想とする思想家が言論を捨て他人を見捨てる全体主義を否定するのは当然だ。

 

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