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国家を揺るがした大事件 書評『天皇と東大〈2〉激突する右翼と左翼』

あらすじ    著:立花 隆
国家主義の台頭と左翼への圧力――
明治は去り、日本は右傾化の道をひたすらに歩み始める。大正デモクラシーから血盟団事件へ、歴史の転回点で東大が果たした役割とは。

 

どんな本か?

 東大を通じて近現代史を見ていく立花隆著『天皇と東大』の第二分冊。本書では1930年代まで扱っている。大正に入りデモクラシー運動が盛り上がるも,次第に国家主義が台頭し日本は右傾化していく。

 

概要

 1 共産党運動

 治安維持法によって国体の変革(天皇制の否定),私有財産制の否定することは死刑または無期懲役と非常に重い罰則が設けられていたので,社会主義を標榜する共産党は非合法な組織となっていた。しかし,地下に潜ってもビラを撒いたりめぼしい人物に接触したりするなど活動は活発になっていた。また党員の供給は帝国大学も図らずも担っており,学生や教員まで広く浸透しており,武装共産党時代には大学を出たばかりの人物が高い地位に上り詰めたこともある。帝国大学は左傾していた。

 そのなかでも京都帝国大学教授の河上肇が世間の耳目を集めることになる。河上は経済学部所属でマルクス資本論を翻訳するなど当代一のマルクス学者だった。しかし,共産党活動に国家の有為になるための帝国大学学生が多く検挙されたことを受け,左傾化した教授を追放することが決まった。教授人事は大学の自治に係る問題で以前にも問題にはなったが,今回は河上の辞職を止めはしないという教授会の決議により辞職することになる。河上は辞職後マルクス関連の著作を翻訳することに精を出す。

 以後河上は共産党活動家に金銭的な支援をし続け,活動家を騙る人々に集られることもあったが,ついには共産党に入党し多額の寄付をすることになった。

 河上も入党した共産党だが,その幹部の中には当局の息がかかったスパイが潜入していて,その動向が逐一当局に筒抜けだった。そのスパイは名前を取ってスパイMと呼ばれる。一斉検挙により河上も党員だったことも世間に知れ逮捕された。その後政治運動から一切手を引くことを宣言し,活動家とマルクス学者を引退することになる。

 共産党はスパイによる情報漏えいと一斉検挙,党員が銀行強盗を計画していた大森ギャング事件,佐野鍋山の転向声明などが相次ぎ組織が壊滅し,以後影響力を発揮することはなくなった。

 

2 右翼活動

 財閥の支配,政治の腐敗など政治不信が高まり遂に民間と陸軍でクーデターが画策されるようになる。十月事件は民官が参画したクーデター計画だが,事前に防止され軍が関与したため世間にも公表されなかった。

 民と官その両方で政治腐敗を正そうとしいつクーデターが起きてもおかしくない時期に起きたのが血盟団事件である。血盟団という団体があったのではなく血盟によってメンバーが実行を誓ったことに由来する。その計画は財閥のトップや内閣総理大臣,政治に影響力を持つ元老など政治腐敗をもたらした原因と考えられた人物を暗殺することを目的にしていた。事件はただの暗殺だが,その背景に暗殺事件を通じて人々が後に続き最終的に革命が成就することを狙うものだった。中心人物は井上日召でメンバーが捨石になり革命の火ぶたを切ることを説く捨石主義を帝大生や陸軍の将校や兵士に心酔させた。

 次に起きた五・一五事件では陸軍将校が部下を動員し総理や警視庁を襲い,天皇を中心とする政治に戻す昭和維新を実現することを画策した。貧窮した農村の現状を憂いた兵士たちの行動は裁判を通じて広まり,多くの同情を得た。それは減刑請願書に表れているが,最たるものは有志が小指を切断し数本送ったことだ。満州事変が起り国家総動員体制へと変化すると裁判は有罪だが処罰はしないとする判決を下した。右傾化が決定的になった。

 

感想

 当時の右翼左翼どちらにも共通するのは,今の政治の在り様は腐敗し直ちに国家を変革しなければならないとする信念だ。右翼は天皇を中心とし,天皇と臣民は絶対的な隔たりがあるが臣民同士は平等とするのに対し,左翼は天皇制自体を廃止し国民を平等とする。どちらも信じる思想のために行動し,その結果命を落とした者もいる。佐藤優氏が言っていた真の思想は人を殺すというのは,こういうことなのだと実感した。

 

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