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徒然なるままに読書

書評から日々の考え事まで綴ります

国家とは? 書評『国家論―日本社会をどう強化するか』

あらすじ      著:佐藤 優
国家とどう付き合っていくべきか。9・11以降に顕著になった、国家の暴走にどう対抗するか。聖書からマルクス宇野弘蔵から柄谷行人まで、古今東西の知を援用し、官僚の論理の本質や、国家が社会へ介入する様相を鋭く読み解く。市場原理主義がもたらした格差社会を是正し、社会の連帯を高めることで、国家に対峙する術を説く。著者のインテリジェンス(特殊情報活動)の経験と類い希なる思索から生まれた実践的国家論。

 

どんな本か?

  古今東西の知のデータベースを持つ作家・元外務省情報分析官佐藤優が国家とは何か?どう対応していくべきか?を神学にナショナリズム,経済学などを応用していきながらその問いに答えていく。

概要 

1 国家とはなにか? 
 国家とは何か?この問いに対して5世紀のカルケドン公会議で用いられた否定神学で輪郭を明らかにする。否定神学とは,例として神は人間ではないのように否定を積み重ねることでその対象を明確にする。この方法はちょうど近代以降の定義が~だと断定する形で事物を定義することとは反対となる。否定神学方式を進めると,国家と社会が混ざり合っているが分離もできないものと定義することができる。
 ここで,アーネスト・ゲルナーが『民族とナショナリズム』でマックス・ウェーバーが用いた国家の定義を敷衍すると,国家とは強制力を持つ制度の集合体であり,暴力を独占している機関とする。国家の目的は,国家の中核となる官僚制機構が被支配者層から利益を収奪することに集約され,その手段として主となるものは徴税である。国家は,徴税による利益追求を第一に,それ以外の目的は二次的なものである。二次的な目的としては,再配分が挙げられる。徴税により得た利益を再配分することで,国家が徴税することが納税者にとっても利益になることを示し,徴税の正統性を得ようとする。

2 国家による介入

 国家は社会に対して度々介入するが,それはどのような場合か。国家が社会に介入する,一番明らかになるときは国家が貨幣に刻印を施すことだ。絶えず社会で流通する貨幣は摩擦によって消耗していくが,貨幣が表す価値には何も変化は起こらない。すり減った一万円札と新品の一万円札はどちらも一万円相当の物と交換することができる。なぜかと言えば,近代では国家が貨幣と金との交換を保証していたからであり,現代では国家が貨幣の価値を保証し,皆がその価値を信用しているからである。
 また,現代の新自由主義も国家による社会の介入である。いままで国家が社会に課していた規制を緩和していき,資本が思うがままに振る舞わせる。資本が自由気ままに行動することで資本を持つ富める者はより豊かに,資本を持たない貧しい者はより貧しくなることになる。そして国家が規制緩和をしながらも弱者に対する救済策を怠る。国家が弱者の救済を図ることは資本主義の枠組み自体が壊れてしまう資本主義の危機を阻止することの手段であり,その限りで国家は資本の暴走を抑止する。資本が自由に振る舞うと資本主義自体を壊す恐れがあるときに資本を制限する。弱者の救済は国家の働きではあるが,それは社会から徴税を通じて利益を収奪することを最大化することができる資本主義を守るその一点であり,弱者の救済自体が目的ではない。

3 国家に対抗する
 
社会が国家の内部に存在すると考えると社会が国家に対抗することは困難である。20世紀の神学者カール・バルトキリスト教と国家の関係においてキリスト教は国家の外部にあり,共存しながらもキリスト教共同体による相互扶助で信者が生活することを説いた。それを国家と社会の関係に応用すると,国家と社会は共存するが社会が国家の外部に位置し,国家だけに生活の糧に当てにするのではなく,社会の共同体がその共同体内で相互扶助によって生活していくを助ける。そのために参考になるのが柄谷行人『世界共和国へ』である。原始社会での贈与と返礼がより高次元になった見返りを求めない贈与が来るべき社会での交換様式になる。社会で生きる個人が贈与によって生活していく。それによって国家だけが個人の生活を保証するのではなく,社会でも個人や他の社会の安全保障を担うことで国家の外部に立つ。外部に立つことで国家の圧力に対抗することができ,国家の暴走を抑止することもできる。
 ではどう社会の紐帯を強くするか?

 

感想 

  古今東西の書物に通暁し神学の思考経験を積んだ筆者が国家とは何か?という問いを立脚点に,その博覧強記ぶりを示しながらマルクス,宇野,ゲルナー,柄谷行人,バルトの思想をもとに国家を描いていく。国家は暴力によって社会から利益を収奪する。国家の暴走に対抗するには,社会の紐帯を強化する必要があるという結論である。ではどう実現するか。その具体的な方法についてはまだ十分に熟慮できていないのか社会強化の方法論には踏み込まなかった。本書を構成する国家論が興味深かったので方法論が欠けていたことが惜しかった。