徒然なるままに読書

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東大生はバカになったか 書評『東大生はバカになったか』

あらすじ    著:立花 隆
文部省の「ゆとり教育」が生んだ高等教育の崩壊状況を徹底検証。その根本原因たる日本の教育制度の欠陥を、文部省の歴史、東大の歴史に求めながら、日本を知的亡国の淵からいかにして救うか、その処方箋を探る。さらに現代における教養とは何か、それはどのように獲得すればいいのかを論じて、世間に衝撃を与えた問題の書。

どんな本か?

  世間ではエリートと思われている東大生がどんどんバカになっている現状と教育改革を提唱した筆者が考える現代の教養とは何か,またどのように教養を獲得できるのかを論じた一冊。

 概要

1 大学制度の現状-レベルの低い学生まで入学させている

 大学進学率が50%を超えたこと,たくさんの私立大学が乱立することから定員割れを防ぐために学力に問題のある生徒まで入学を認める学校が増え,従来なら進学できなかったような生徒まで進学する現状は最高学府である東大とて無縁ではない。

 受験科目の削減とカリキュラムの変更を受け,理科系学部なのに生物や物理学の基礎がままならない生徒が入試を突破することができるようになり,事実上の高校レベルの内容の補講を行うまでになっている。また文系学部の者は理科系の知識が,理科系学部の者は世界史といった知識が欠けている。受験に必要ない科目をまともに授業で扱わない学校もあり,科目によっては中学レベルの知識で留まっている。論理的能力を見るのに最適な論述試験でも支離滅裂な文章や漢字のミスが見受けられる。

2 学校制度の問題-文科省主導のカリキュラム

 現在,カリキュラムを決定するのは文科省の管轄となっている。筆者の学生時代には受験科目が理系文系問わず文理科目が必須でありその知識が入学前段階の教養の下地となっていた。その下地が社会に出てからも新たな分野の知識を吸収したり,ひらめきの苗床となって日本社会を影ながら支えていた。しかし,文科省のカリキュラム変更により受験科目が減少し,そのような教養の下地を形成する機会が減ってしまった。
 大学で専門分野を学んでも専門だけで教養の欠けた人材を多く輩出することになった。現在は入学前に自身の専攻をある程度決め受験することが普通であり,情報が十分でないまま入学したことで,学びたいことと実際の授業とのギャップに苦しむミスマッチもある。この問題を防ぐのに役立つ教養学部があった。教養学部は,入学後,教養学部として一年文理問わず科目を取り,その成績で専門を学ぶ各学部へと進むことを目的としたが,現在では東大にしかなくなっている。

3 現代の教養-現実問題に対応する力 

 筆者が現代の教養とするものは,問題の発見・解決策を考える力,論理的思考力,人を動かす力である。現実の問題が複数の分野に跨っている以上,その解決のためには複数の分野に精通したジェネラリストでなければならないし,一人でできることも限られるのでチームをまとめる必要もある。解決を目指すに当たり論理的思考力は,その基礎となるが涵養するためには読書が手っ取り早い。ジェネラリストが知識を得るためにも重要だ。

感想

  大学全入学時代と叫ばれ,学力低下が問題視されるなか,東大でさえ学力低下に悩まされることは驚きだ。現在はゆとり教育以前の教育を受けた人々が日本を引っ張っていくのでまだ安心だが,問題は次の世代である。受験の容易化で負担が軽減した分,思考力や教養を伴わないため日本の総合知が低下していく。総合知の低下が日本を下支えしてきた労働者の質の低下を招き,企業も海外への脱出を目指す,さらなる悪化となり悪循環に繋がる。世界中で仕事が専門化するなか,総合知の低下は日本が知的な先進国であり続けることを遮り,単純な仕事にしかありつけなくなる。最後には二流国となってしまう。
 総合知の低下から日本の暗い未来を暗示した筆者は文科省の支配から学校制度を解放するため省の解体を提案する。現実的には,小学校からの少人数教育や理科系科目を厚くすることを提案し,そのためにフランスの高等師範学校のように将来の大学教授が地方の学校へ赴任しカリキュラムに縛られず授業を行うことで総合知を向上させようとする。大学制度改革でグローバル型とローカル型に分ける試案が話題となったが,大学より遡る小学校からの改革となる。