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ベンサムの思想とは? 書評『ベンサム―功利主義入門』

あらすじ        著:フィリップ・スコフィールド
現代のさまざまな分野に、実践・理論の両面で大きな影響を及ぼしているジェレミー・ベンサム(1748‐1832)。本書は、彼の厖大な草稿類を整理・校訂するベンサム・プロジェクトを牽引し、新著作集の編集主幹をつとめる、「世界一ベンサムを知る」著者による本格的な入門書である。最新の研究成果をもとに彼の功利主義思想を体系的に論じる。 

 どんな本か?

 立法者としての顔,救貧院・監獄パノプティコン設計者としての顔,政治に向き合う啓発家としての顔などをもつ複数の分野で多大な影響を与えたジェレミー・ベンサムを体系的に論じている。

概要

 本書はベンサム・プロジェクトに携わる筆者が従来ベンサムの思想に関してあまり顧みられることがなかった宗教と性、拷問についてもまとめられている。しかし,ここでは,功利主義パノプティコン,政治的誤謬について概観する。

功利主義 

  ベンサムといえば周知の通り,「最大多数の最大幸福」という標語と共に功利主義者としても有名である。功利主義とは,苦痛と快楽を基準に行動原理とし,苦痛を逃れ快楽を増大する行為を善とし,その逆の行為を悪と見なすものである。そして最大多数の最大幸福とあるようにその基準は個人の意思決定のみならず共同体にも適用される。単純に快楽計算はできないのだけども,例えば,明日に試験を控える学生には二つの選択がある。一つは勉強せず気ままに遊ぶこと,他方は試験に備え勉強することである。前者が後者よりも快楽を増幅するとするなら,この学生は勉強せず気ままに遊ぶことが善となる。共同体にしても同様で構成員の快楽の総量を増大する意思決定が善とされる。

 大きく分けて批判には二通りある。一つは,快楽計算が困難で,できるとしても感覚的な比較であり客観的な数値化は実現していないことである。もう一つは,共同体の意思決定に関して快楽の分配の原理が確立していないことだ。この批判は『正義論』の筆者であるジョン・ロールズが代表的だ。7人の共同体があり,その意思決定で快楽総量が35となるとき一人が5の快楽を得る意思決定と4人が8の快楽を,3人が3の快楽を得る意思決定が共に35の快楽となり同等の価値を持つことになるが,その決定は公平ではない,という批判だ。つまり多数者が少数者を迫害する結果になるということに功利主義原理では確固とした反対原理がないことである。しかし,ベンサムならこう反論するだろう。快楽と苦痛では苦痛のほうが大きくなること,多数者の些末な利益と少数者の重要な利益とを比較したとき単純な快楽計算を適用せずとも少数者の利益を保護することができることからその批判は妥当ではないと。

パノプティコン 

  パノプティコンとは,フーコー『監獄の誕生』で一躍有名となった施設である。その内実は,円形に配置された収容者の個室が多層式看守塔に面するよう設計されており、ブラインドなどによって、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えなかった一方で、看守はその位置からすべての収容者を監視することを目的とした。看守に監視されているかもしれないという意識が収容者に監視を内面化させ,模範的な生活を送ることで監獄や救貧院収容者を更生させる。フーコーは監視の内面化を強い,最終的に看守の監視を必要としない没個人の監視環境をパノプティコンと比喩的に呼んだ。対してベンサムはあくまでも看守の存在を前提にした点で異なる。またこの構想は監獄だけでなく学校にも適用できると考えていたようだ。その場合は生徒が中核となる。

政治的誤謬 

  ベンサムパノプティコン構想が政治家に受け入れられなかったことを受けそれまで政治家は共同体の利益のため最良の選択をするとの考えを変え、政治家は私的利益で共同体を害する邪悪な利益を追求するとの考えに至る。では政治家はいかにその邪悪な利益を追求するか。その際に用いられるのが政治的誤謬である。一般大衆を錯誤に陥らせ選択を誤らせる。その結果として政治家の私的利益となる。この誤謬を防ぐためにベンサムが取った行動は大衆を啓発することである。特に政治家の使うレトリックを指摘し,政治家が使った場合の注意を促すことを予定していた。例えば,議会の壁に錯誤させるレトリック一覧を貼り,議論で政治家が使った場合に指し棒でそのレトリックを示すなどだ。

 このレトリックの指摘は現代では容易になっている。国会のテレビ中継で画面には中継の様子とともにレトリック一覧を映しそのレトリックを選ぶと説明画面に移るなどだ。

感想 

  功利性やパノプティコンを知るために本書を購入したが,政治的誤謬など思わぬ項目もあり,ベンサムが取り組んだ問題の幅広さに驚きつつ,生涯を通じて社会を良くしようと活動したバイタリティに敬服した。

 パノプティコン型施設や政治的誤謬など現代でも活用できる思想に触れ,社会の向上について自分なりに考えてみることが100年以上前の思想を学ぶ意義なのだと考えた。