徒然なるままに読書

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全体主義は過ぎ去ったか 書評『全体主義の時代精神』

あらすじ       著:藤田 省三
20世紀は全体主義を生み、かつ生み続けた時代である。
それは三つの形態をとって現れた。最初は「戦争の在り方における全体主義」として、
ついで「政治支配の在り方における全体主義」として、そしてそれは「生活様式における
全体主義」として登場した。「安楽」への全体主義である。

 どんな本か?

 思想史家藤田省三が各雑誌に掲載したエッセイや著作集に宛てた序文などから成る。タイトルが示す通り全体主義に纏わるものが多数存在する。
概要

日常に潜む全体主義 

  全体主義は三段階あり,現在は最終段階にある。初めに戦争形態としての全体主義,総力戦として兵士と一般国民の差がなくなりただ消耗していくだけになる。次に政治形態としての全体主義。それは難民の拡大再生産を行う。難民とは法の保護を剥奪された者であり,社会から追放された者を指す。そして生活形態の全体主義とは,あらゆるものが画一化され,さらに不快なものをその回避する工夫なしに根こそぎ殲滅しようとするものである。あらゆる全体主義の形態の中で多様性を排除しその異分子を殲滅しようとする姿勢を示す。

 この不快を殲滅せんとすることで同時に喜びの感情までも失っている。喜びとは,不快なものを回避する工夫や克服することから生じるからだ。しかし第三形態ではその不快自体が殲滅の対象であり,喜びの感情の発露とはならない。不快を避けようと,安楽ばかり求めるあまり不快から生じる感情を得ることは叶わず,結局は安楽ではあるが喜びのない生活を送ることになる。

 自己献身と集団主義

 日本人はナルシシズムが集団への献身となっている。それが国家に向かえば国家主義に,会社に向かえば会社人間に。身も心も集団に捧げる自分という像に酔うナルシシズムが過剰な自己献身へと繋がり国家に向かったことで戦争に至り破滅した。

 戦後は私生活までも会社で働こうとする会社人間が誕生し,その会社人間たちが形成した制度や慣習が現在でも残存している。その例として,家庭がビジネスパーソンの調整の場として専業主婦を美徳とするなど。サポートする終身雇用など。

感想

 全体主義と聞くとあくまで20世紀の政治を彩る概念でありもう過ぎ去ったことだと考える人も多いが,全体主義は戦争・政治を越えて日常生活にまでその形態を変えて浸透している。そのことを痛感するエッセイだった。欠点として日本人の傾向を述べるときにその具体例や論証をすることなしにその傾向を前提として話が進むことだ。もともと詳細に書くことを予定していなかったのか。はたまた紙面の都合なのか。