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徒然なるままに読書

書評から日々の考え事まで綴ります

書評『生きるのも死ぬのもイヤなきみへ』

あらすじ    著:中島 義道
自意識を持て余す東大生、自分の容貌を嫌悪するOL、働くことが嫌いなフリーター、5年間引きこもり中の男…。「どうせ死んでしまうのだから、何をしても虚しい」彼らの心の叫びは“正しい”。しかしその真実は、善良で鈍感な日本社会からは抹殺される。苦悩する彼らと著者が対話を重ね、人生の虚しさを直視し、生きることの意味を探究する哲学対話エッセイ。生きづらさを抱える人に捧げる一冊。 

 

 本書では架空の悩める人物達と筆者の中島義道その人の対話形式で進んでいく。  

 若い頃など多くの人が死について考え年を取るにつれ考えることをやめたという経験が多くの人にあるだろう。自分で満足のいく答えを見つけたのかもしれないし、そんな青っぽいことをするなんてと世間の声に後押しされてやめたのかもしれない。では、死とはなにか、世間とはなにかを考えていきたい。

 死とは、視点を失うことだ。たとえ肉体が朽ちてもこの世に自分に目を残しそこから気ままに世界の在り様を見ることができるのなら、それほど死を恐れないかもしれない。しかし、現実には死ぬことで世界から視点を失う、換言すれば無になると多くの人が考えている。無になることでもう他でもないこの世に係ることができない、そのことを恐れているのだ。死をコミュニケーションの不能と定義しても良い。またある人は対話の中でもし自分の死後千年後でもいくら時間が経てもいいから記憶を持ったまま蘇生するなり転生するのなら死への恐怖はなくなるだろうと述べている。死が一切の終焉ではなく一時的な休息となり死と夢とで大きな差異がなくなる。ただその期間が夢が数時間で終わるのに対し仮に千年後だとしても夢が延長された程度にしか感じないだろう。

 世間とは、大多数が正しいと思う事柄に他ならない。加えて大多数にとって苦痛ではなく快楽をもたらす。例えば規範を持ち出す人々。軽々しく~~すべきだと述べるがそれは自分が快に感じる意見と大多数の意見が一致しているにすぎない。男子はスカートを履くな、これは性同一性障害の人からすると反論がしにくい。自分たちが少数派で一般の人々と少なくともこの点で価値観を同じくしないためで、共感も得難い。世間と感覚が異なる人にとって生きにくいことになる。絶えず世間という目に見えずしかし存在はするものに圧迫されなかなか理解されない。

 本書では生きるのも死ぬのも嫌う矛盾しているようにも思う心の叫びを正しいと肯定し、他の苦痛の種にも言語化し胸中の霧を晴らそうとする。人に相談しようとしてもなかなか理解されない、そう悩む人は一度本書を手に取ってみることをお勧めする。

 

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