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徒然なるままに読書

書評から日々の考え事まで綴ります

書評『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』

あらすじ     著:ベネディクト・アンダーソン
国民はイメージとして心の中に想像されたものである。/国民は限られたものとして、また主権的なものとして想像される。/そして、たとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、国民は常に水平的な深い同志愛として心に思い描かれる。そして、この限られた想像力の産物のために、過去二世紀にわたり数千、数百万の人々が、殺し合い、あるいはみずからすすんで死んでいったのである。―ナショナリズム研究の今や新古典。 

 

  多くの人が国民は実在していると考えているがそれは誤りに過ぎない。国民とは、想像上の産物であり国家もまた想像上の産物である。本書によれば、「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である―そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なもの [最高の意思決定主体]として想像されると。」とされる。その起源は活版印刷にさかのぼる。出版資本主義ははじめラテン語の書物を発行していたが、ラテン語は上流階級の人びとしか読み書きできずその書籍にも限界があった。ラテン語人口より多い俗語人口に焦点を合わせ次第に俗語による書籍が多くを占めラテン語を駆逐し始めた。上流階級に限られていたとはいえ教養のある貴族、聖職者ならだれでも操れた普遍性のあるラテン語から地域に限定される俗語へと主流が変わったのである。俗語へと軸を移したことでその俗語を話す人々と話さない人々を明確に区別することになった。さらに公定ナショナリズムが王朝権力と帰属国民を結合しようと図ることでより一層明確となった。例としてロマノフ朝と大ロシア人。公用語の決定と公用語による義務教育により国民に自覚を促した。こうして他国民とを区別する

自国民の意識が鮮明となった。そして自分は想像の政治共同体を構成する一員だとする意識が覚醒し同じ想像の政治共同体を構成する他者を同胞とみなしその同胞のためなら命を犠牲にしてでも助けようとする。ここで重要なのことは、家族や友人といったよく知った相手でなくとも顔も知らないただ同じ想像の共同体に属するというだけの接点しかない他者であるという点だ。しかし、この点により過去二世紀にわたり人々は殺し合い、または進んで死んだのである。

 

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