徒然なるままに読書

書評から日々の考え事まで綴ります

書評『乱読のセレンディピティ』

あらすじ    :著 外山 滋比古
一般に、乱読は速読である。それを粗雑な読みのように考えるのは偏見である。ゆっくり読んだのではとり逃すものを、風のように速く読むものが、案外、得るところが大きいということもあろう。乱読の効用である。本の数が少なく、貴重で手に入りにくかった時代に、精読が称揚されるのは自然で妥当である。しかし、いまは違う。本はあふれるように多いのに、読む時間が少ない。そういう状況においてこそ、乱読の価値を見出さなくてはならない。本が読まれなくなった、本ばなれがすすんでいるといわれる近年、乱読のよさに気づくこと自体が、セレンディピティであると言ってもよい。積極的な乱読は、従来の読書ではまれにしか見られなかったセレンディピティがかなり多くおこるのではないか。それが、この本の考えである。

 

 セレンディピティとは、「偶然の発見」である。ある一つの分野のことだけを考えていても新しい考えは浮かんでこない。異なる分野について書を紐解いていくうちに思いもよらない考え、特に悩みを解決する考えが浮かんでくる。これを筆者は乱読のセレンディピティという。 ただし、乱読に効果があるとはいっても読書ばかりして専門バカ、読書バカになってしまっては意味がない。知識偏向型から思考力重視へと自身を変えなければ創造的な仕事をこなすことはできないので、よりよく生きるため、新しいことを生み出すために本を読み思考力を意識しなければならない。

 帯に『思考の整理学』の読書版と謳われる通り、思考の整理学と一部重複しているが書かれている内容に気を配りただ読書するだけではなく思考力を伸ばすようにしたい。

 

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