【感想】小説という名の現実/「ボラード病」
日本を舞台にしたディストピア小説だと聞いて読みました。
あらすじ
B県海塚市は、過去の厄災から蘇りつつある復興の町。
皆が心を一つに強く結び合って「海塚讃歌」を歌い、新鮮な地元の魚や野菜を食べ、
港の清掃活動に励み、同級生が次々と死んでいく――。(内容「BOOK」データベースより)
海塚市という海岸近くにあると思われる都市、過去の災害から復興しつつある、地元の食べ物の安全性が声高に叫ばれるなど福島の原発事故を連想してしまいますが、本文中には災害や表題のボラード病について詳細は書かれていません。全てを明らかにしないことで原因が災害に限定されないが小説で描かれた社会と同様な社会をも射程に入れた普遍的なものを志向したのかもしれません。
主人公が小学五年生のころの回想を認めた手記という形で物語は進みます。そこに描かれているのは絆や結び合いという名の同調圧力と現実を直視せず海塚は安心という幻想に浸っている人々です。子を亡くした父親ですら演説をぶって海塚を賛美する始末です。
「海塚だけが何の影響も受けずに済んで、ただ建物が壊れただけで野菜も肉も魚も皆安全で、そして海塚市民だけが健康体でいられるという神話を盲信することに町を挙げて猛進したのです」
一方で、現実に向かい合えば問題がすべて解決するかといえばそれも違うと思います。死ぬかもしれず根本的な対策が見つかっていないかもしれません。現実を直視することが絶望することにもなりかねません。むしろ、現実を忘れて幻想に浸るほうが死の恐怖から逃れるとともに共同体の一体感、幸福感に包まれることができるからです。現実を直視すること、幻想に包まれること、どちらが幸せと言えるのかまだ分かりません。